植月東地区の歴史

なだらかな丘陵地と滝川のつくる平野部に恵まれており、弥平治遺跡、茶畝遺跡、寺山古墳を始めとする古墳群がある等、弥生・古墳時代より住みやすいところだったと思われます。

少なくとも江戸時代初期からは植月東村として存在していたと思われ、明治23年に植月東村、植月中村、植月北村、平村の四村が合併して植月村が出来るまで続きました。今でも「ひがしむら」の呼称が使われるのはその名残です。

このページは、「ひがしむら」の歴史を古代から平成史にいたるまで断片的にコラムの形で記載して行きます。皆さんからも祖父母や土地の古老から聞かれた話が有れば教えて下さい。